価値観を広げること
価値観ってものは恐ろしいものだ。
見えないけれど、人を縛り付ける。
ある人はそれに縛られ、強迫的に自分を制限されてしまう。
以前のぼくもそうだったな。
いい機会だと思うので、僕の過去を振り返りたい。
小学校、僕はとても真面目だった。真面目すぎるくらいに。質問があったら、そりゃもう、すぐさま手を挙げて、答えていたね。
でも、ちょっとずつ歯車が狂いだした。
小学校5年生のあるとき、給食が食べられなくなった。食べようとしても、気持ち悪くなって食べられないんだ。
ここからだ。僕が人の目を気にしちゃうようになったのは。
だんだん、
「周りのみんな、給食が食べられない僕をどうおもっているんだろう?」
という心の声が大きくなっていく。
こうなってはもうだめだ。だって、外部要因じゃなくて、内部要因、自分自身が自分を責めているんだから。
デフレスパイラルなんて比じゃない、こうなっちゃったら堕ちちゃうのは目に見えている。
中学校一年生、僕は頑張って学校に行っていた。でも、精神状態は劣悪、いつ折れてもおかしくない。
そして、とうとうある日、僕は学校に行かなくなった。
でも運がいいことに、というか恵まれていたんだね。
陸上部に所属していたんだけど、そこの友達が迎えに来てくれたり、ある時は引きずってでも、学校に連れて行ってくれた。
そいつらのおかげで、何とか保健室登校できるようになった。
3人くらいの友達がそのように計らいをしてくれたのだけれど。今でも心からの親友だよね。
だんだん元気が出てきて、中学校3年生の中盤からは中学校に復帰できた。
まぁそんな感じで今に至るわけだけれど。
そう、価値観ってテーマだったな。
価値観を広げることは、脳の容量を広げること、だと思う。
人間、なにかに追われたりすると、脳のスペックを発揮できない。
そりゃあ適度な緊張感は必要だ。でも、ずーっと毎日悩み事に苛まれていると、どんどん容量を食っていく。
それを広げるにはどうするか。対処療法的にその原因をやっつけるってのもある。
あっ、厳密には対処療法じゃなくて、根本的治療なんだけれど、言葉遊びみたいなものさ。
僕の言いたい根本的治療は、脳の容量自体を増やすこと、つまり価値観を広げちゃおう、というもの。
価値観を広げるにはどうしたらいいか。
やっぱり、何か苦しいことを乗り越えるしかない。
挑戦しかない。
今の容量では乗り越えられないような出来事を乗り越えたとき、見えてくるものがある。
そのとき、はじめて価値観が広がる。
僕も、不登校で価値観が変わり、さらに大学3回生で経験した留学で、さらに価値観が変化した。
体感的に全然違うんだよ、心が軽くなるし、世界の見え方が違う。
脳に縛られるんじゃなくて、脳を学習させていく、そのような心持で人生を送ろう。