にちじょう

なにげないひびを、つらつらと

人生は縁である

20代の若造が何を語ってるんだと怒られそうだが、題名の通り、そう思うわけである。

 

縁、と言うものの存在は、現在から過去を見通した時にしか見えてこない。

現在のみをじーっと見ても、見えることは見えるが、薄い。

折り重なった結果が過去であるから、縁を見るのは必然的に過去ということになる。

 

今、現在から見て、縁に助けられたな、ということは多々ある。

 

まずは中学校時代だ。

何度も書いているように、僕は中学校時代不登校だった。普段は家で寝ているだけ、調子がいいと学校へ行くが、基本保健室で給食を食べたあと帰ると言った生活。これが一年半くらい続いた。

これくらいになってくると、もう危機感・焦燥感というものは皆無で、堕落することが日常に組み込まれているから、それからの脱出というのはものすごくパワーが要るわけである。

この状況から脱出させてくれたのが、陸上部の仲間だった。

僕は長距離に所属していたのだけれど、野外ランニングではいつも僕の家に立ち寄ってくれた。玄関をノックしたり、家の外から僕の名前を呼んでくれたり。

その当時の僕は、それを邪魔と感じていたように思う。でも、どこか心の奥底では、こんな僕でも学校に行っていいんだ、という気持ち、温かい気持ちを感じていた。

さらに、陸上部の担当の先生もすごく良かった。

いつも気遣って下さって、さらには成績表が0と斜線だらけだった僕を、私立高校に推薦してくださったのだ。これがなけりゃあ、僕は中卒だったかもしれない。

 

陸上部の仲間には、今でも親友と言えるやつがいる。

特にそのうち二人には、とてもお世話になった。一人は引っ張っていってでも学校に連れて行こうとしてくれた。当時は嫌がっていたが、通えるようになったのはそいつのおかげだ。

もう一人は、毎日学校にいく時に家に立ち寄ってくれた。

遅刻しそうになっても構わず、なんとか連れて行こうとしてくれた。

本当、この二人のパワーは大きい。

 

こういう補助があり、僕はなんとか、中学校三年生の後半に中学校に通うようになり、高校にも入学することができたのだ。

 

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さて、ここからは高校である。

暫くの間引きこもっていた僕は、学力はおろかコミュニケーション能力もなかった。

センター模試模試では、3〜4割をとってしまう。

女の子に話しかけられただけで俯いてしまう。

そういう生徒だった。もちろんそのような状態から脱却したいとは感じていたが、パワーがなかった。

 

それが改善へ向かったのは、高校二年生のときである。

なんとか定期考査で割りと良い点数をとっていたので、二年生時に特別進学コースに編入することができた。

おそらく、これがなかったら、僕は今の大学にもいない。

 

結論から言うと、クラスメイトが最高であったのだ。

さらに二年間クラス変更がないこともよい影響を与えた。

 

言っては悪いが、一年生のクラス、というか進学コースはぬるま湯であった。

最初の頃は中学校の復習から授業をしてくれて、中学校に抜け落ちた期間がある僕には良かったが、その後の様子はひどかった。

テストに打ち込まないやつはザラにいたし、さらに雰囲気がすきじゃなかった。

 

だが、二年生時に進級したクラスは違った。

最初に感じた印象から違ったと思う。

編入した人数は3人で、みんなに馴染めていない、初対面の時は、その3人は僕も含め戸惑っていたと思う。

でも、暖かく迎えてくれたんだ。言葉に表すとわかりづらいが、本当に包容力のあるクラスであった。

 

そりゃクラスも人間の集まりだから、変わっている奴や、僕よりコミュ症なやつもいた。でも、本当に”いじめ”や”差別”がなく、ほんとうの意味でクラスが一致団結していると感じた。

 

最初に感じたこの印象は、卒業まで変わらなかった。

修学旅行もこれまでの旅行の中で一番楽しかった。

 

特筆すべきは、受験勉強である。

三年生前半でも、僕はセンター模試は5割り程度しか取れなかったと思う。勉強にやる気が出なかったのだ。

だが、一人の友人が”勉強しろ”と喝を入れてくれた。

 

英語は単語だ。

甘えてはいけないぞ。

 

こういう言葉をかけてくれる友人がいたことは、本当に幸せであったと思う。

この言葉の影響を受け、夏休み頃から本格的に勉強を始めた。

 

全く覚えていない英単語を覚えだした。

夏休みに図書館に集まってみんなで勉強した。

模試の結果を競争し合った。

 

今思えば、この受験期間が僕の青春であったかもしれない。

安い青春だと思われてもいい。

もともと、中学校が抜け落ちているということもあるであろうが、もし僕が中学校に行っていても、この期間は最高に幸せだと感じただろう。

 

結果的に、現在在学している立命館大学に入学することができた。

本命ではなかったが、実力を出し切った結果である。

悔いはなし、今ではいい思い出である。

 

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感謝という言葉で表すのは惜しい。

それくらい僕は人に助けられてきたのだ。

 

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さて、現在僕は大学生である。

大学にも、本当に様々な縁、が存在する。

今でもいろいろな縁が見えることがあるが、それは”現在”の縁だ。

 

大学における縁は、もっと先に、言葉に起こそうと思う。