にちじょう

なにげないひびを、つらつらと

幸せの定義について

僕みたいなバカが、幸せの定義について考えてみる。

 

まず、幸せっていうものは人によって変化する。そう、変動的なものなんだよね。

 

お金、お金ってなんだろう。お金があると嬉しい。これは幸せなのかな。まぁ、お金を手に入れることで得られる感情を幸せだと定義しよう。

Aさん、初任給、18万頂いた。次に19万頂いた。1万円増えた!嬉しい。この幸せを5としよう。

Bさん、初任給30万頂いた。次に、30万頂いた。伸びないな。幸せは?10,それとも3くらいかな?

 

単純にお金の量で図るなら、客観的に見るなら、Bさんのほうが幸せだ。なぜってお金っていうのは客観的に価値を図るものだから。

でも、幸せって客観的に測れないよね。

 

金銭感覚について考えよう。金銭感覚ってなんだ?

幼少期を思い出すと、10円ガムを買っても嬉しかったし、100円でたくさんガムとか、うまい棒買った時は、それはそれは幸せだった。

今ではどうだ。大学生でバイトをする。一日働けば、僕が働いているコンビニ程度でも5000円位は稼げる。嬉しいか?と聞かれれば、それは嬉しい。

でもさ、幼少期に、ガム買っておいで、と渡された10円の嬉しさと、コンビニで働いて、一日に頂いた給料5000円、どっちが嬉しさで上位に位置するかとなれば、幼少期に渡された10円だよね。

 

幸せってなんだろう。

 

ここで悟りについて考えてみよう。僕は悟りっていう概念に関しては完全に素人だし、ここから書くことは完全に素人の考えだ。

人間は、人の幸せを自分の幸せだと感じることができるいきものだ。

例えば、親がある会社の役員だったとする。これ、誰かに話したくならない?

誰かに話すことによって自分の承認欲求を満たすんだ。

「俺の親はこんなにすごいんだ!」ってね。まあこれはある種醜くもあるけど人間の真理としては実にまっとうだ。

これを拡大解釈して、世界中の幸せを自分の幸せだと思えたら、それは悟りじゃないか。

 

よくお金持ちの人々が行き着く果ては、ナントカ財団とかを作って、社会奉仕をする、そういう感じだ。

これに行き着く真理について考察すると、最初のほうで話した金銭感覚っていうものは、この人達は麻痺しきっていると思うのね。

つまり、物欲ってもので、自分の幸せというものを獲得できない。となると、何に頼るか。

ココで出てくるのが、社会奉仕だと思うのね。モノよりも高尚で、かつ変化があって見ていて面白いもの、それは人間だよ。

そこに投資をして、何かが生まれたり、何かが変化したり、それを慈しむ、楽しむ。

それが、大金持ちのいきつくはてなんじゃないかなと思っている。

 

幸せってなんだろうね。何が幸せかは誰にも定義できない。皆さんはどうお考えですか。*1

*1:これ、日記じゃねえじゃん