にちじょう

なにげないひびを、つらつらと

才能

才能、とか、天才、だとか良く聞く言葉だ。

 

才能って何だろう。気になるから、インターネットで検索する。

 

なるほどね、だいたい思っていた通りだ。

 

これまで生きてきた中で、確かに、何かに秀でている奴っていた。

スポーツができるやつ、ピアノができるやつ、絵がうまいやつ。

 

脳の容量とか、成分だとか、大差はないはずだ。

じゃあなぜ、一般人とアインシュタインのような天才との差がうまれるのか。

 

・一つ挙げられるのは、遺伝、または突然変異。

よく、親と子は似るっていわれている。確かに、体格だとか顔だとかは似るし、それは脳の特性にも同じことが言えると思う。現代科学では、この部分がこの思考をするときに使われている、程度にしかわかっていないらしいんだけど、おそらく30年後には、もっと解明されて、遺伝学的な適正がわかると思う。

 

・もう一つは、環境だ。

親が医者である。親が芸術家である。

こんなパターンってよくあると思う。医者の息子が医者になるパターンとか。

環境っていうのは大事だ。まず、人間の成長には刺激が不可欠である。

余談だが、僕の両親は二人とも普通の仕事についている。パナソニック派遣社員と、郵便局員

なんら、刺激がない。言い方が悪かったね、普通の仕事ってだけ。

ここからは想像だけれど、親が片方は医者、もう一人が大学教授だったとする。

この場合どうだろう。たぶん、こんな家庭に生まれたら、その子と僕との”普通”って概念は、大きく差が開くだろう。

そして、その概念が、この先の成長に大きくかかわってくる気がする。

 

人間、満足するまでの道筋みたいなものは全員違う。

たとえば、ご飯が食べられればそれでいい、と思う人もいる。

億万長者になって、豪遊したい、って思う人もいる。

 

この、満足までの道筋の部分で、環境っていうのは大きく寄与すると思うんだ。

そりゃ、普通っていうハードルの時点で違うんだから。

 

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才能って言葉を因数分解してみると、こんな感じになると思う。

才能って言われると、どうも先天性の、つまり持って生まれた部分、みたいな印象が色濃いのだけれど、後天性、っていったらいいのかな、環境って部分も大いに関係してくると思う。

 

才能を持って生まれた人。

才能を持って生まれなかった人。

着目する点によっては変わってくるけれど、ある一定のラインから、”才能のあるなし”の判断がなされると思う。

 

先天性の才能は、生まれた後じゃあ獲得できない。

でも、後天性の”才能”は、環境によって獲得できる。

自身のハードルを高めることによって、環境からの獲得性も高まる。

 

やっぱ、頑張るしかないんだね。